ボクは坊さん。
昨日、午前中にお雛様をしまいながら、前に仕事でお世話になったchiemiさんと少し長く電話で話をした。
久しぶりに聴くchiemiさんの声は、やっぱり動いている!って感じ
実に快活で明瞭で頭の中がクリアで、気持がいい。
こんな方が常に私の身近にいたらどれだけ前に進めるだろうと思ってしまう
そんな日は、自分の中のウジャウジャが整えられて、スッコーンとした気分でいられる
午後、今開催中の小関鈴子さんの作品展に行った
作品は表現力と技術力のバランスが取れた、観た瞬間に楽しさが伝わってくる大作ばかりで
見事です。あっぱれです。
これがストレートに観る側に伝わるデザインなんですねぇ
そこで、「あ~そうなのか」と納得する
私の目指すデザインは、観た瞬間「ん???」の間があるもの
そして、観る側が紐解いていくという、一種ひねくれてる?
でも、紐解ける同じ感性の人の存在を知った時の喜びは、何とも言えず、他人ではない繋がりを感じるんですねぇ・・・
な~んてことを考えられる自分がいるのは、この本『ボクは坊さん。』を読んだから?
私が、今まで感覚だけで気づき始めた事柄を全て優しく言語化してくれている本です
言語化することによって、物事にはっきりと確信がもてて、自分がととのって来る気がする
そして、最近、「オッサン」の呼び名を「コーチョー」とか「カイチョー」とかに改名しようかなぁと考えていたのだけど(笑)、この本で、坊さんをおっさんと呼ぶ地域があるのを知って、やっぱり改名は止めようと思った次第・・・へへへ・・・
むか~し、私は自分の子供に『禅』と名づけたいと言って笑われたことがあった。
高校時代は小説家から尼僧になった瀬戸内寂聴に憧れた
中学の頃、誕生日に男子から聖書のプレゼントを貰った
いずれにしても、浅はかな、かるーい気持からだったけど、当時深く掘り下げていたら・・・
・・・と考えられるようになるには半世紀掛かったんだ、私の場合。
だから人より多くの努力と経験が必要なんだわね
そうそう、この本、トレーシングペーパーの帯と文字で思わず店頭で手にしたけど(今時のタイプに弱いので)、『ほぼ日』に連載されていたのですねぇ・・・
。。。。
昨晩、息が止まりそうな位、脚がつった。私の過去最高記録の痛みで、いつもの親指をぎゅっと持ち上げても治まらないったら、涙が出そうだった
で、今朝久しぶりに朝風呂に入って脚を温めてマッサージしてみたけど、まだ後遺症のような痛みがある やれやれだなぁ・・・
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